tankuro  健康に生きる為の案内図

人生を楽しく過ごす為に必要な事考えます。

2 初めての大病になるまで 1

 2 初めての大病になるまで 1

 

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 こんにちは、tankuroです。
 今回の体験談は経緯から経過、手術、
 その後と4部作になります。
 笑って楽しんでくださいね。
 えっ、深刻じゃないのかって?
 人生それだけでは、、、。

 

◆◆ 私が50歳をだいぶ過ぎてバンケットの責任者を
 していた頃の
お話です。
 会社は大手一流企業の資本から外資系資本にかわり、

 さらに遊戯系資本になりました。
 利益優先の会社で一部軍隊式教育が
されていました。◆◆

 

◆◆ 経営が変わって半年が過ぎようとするある日の事、
 GMに呼び出されました。
 今度新しく成人者向けの振袖レンタル店をホテル内に
 儲けるので責任者になれとのご命令でした。
 まだ、本社との連携が充分に取れていない頃の本社から
 の指示でした。◆◆

◆◆ レンタル店?番頭?成人者?何故自分が選ばれた
 のかは理解が行きません。
 でも、宮使いの身です。断ることもできません。
 それは奴からの今で言うパワハラを受け続ける結果に
 なりました。◆◆

◆◆ 振袖のレンタル店は理に叶っていました。
 ホテル内には美容室も写真室も設備が婚礼用に設けれて
 いるからです。
 一度に着付けられ写真を撮れるのです。
 当然それが売りになりました。◆◆

◆◆ 立ち上げるのには、かなりの勉強が必要でした。
 京都や新潟にある仕入れ先の問屋まで出向き品定めをしたり、
 触った事もなかった振袖を広げたり畳んだり、柄や生地の
 セールストークまでも必死で覚えました。
 開店まで半年しかありません。
 夜遅くまでの地獄の日々でした。◆◆

◆◆ 経営方針や試算は本社の指示で何度も変わりました。
 一番は奴のパワハラが私の体を崩壊へと導きました。
 奴曰く「1000本ノックで鍛えてやっている」と他の社員に
 豪語していました。100本よりかなり多いじゃないか?!
 と言えればよかったのですが、、、。◆◆

◆◆ 深夜までの今日中に、適正者のアドレスを確保しろとか、
 本社関連の施設を全部歩いてセールスしろとか要望が
 エスカレートする一方でした。
 挙げ句の果てには、オープニングに商店街を、振袖を着せた
 女子社員を大名籠に乗せて、10数名で担いで行進すると
 いう暴挙でした。
 全社を挙げての取り組みです。
 勿論、私は渦中の人です。◆◆

◆◆ 商店街を大名行列で行進するには、当然警察の申請が
 必要でした。
 駅前でのチラシ配布の申請はそれまでこの為に何度も行って
 いましたが、申請はさらに大変でした。◆◆

◆◆ 大名籠の先導と後方見張りに一人づつの配置と、道を
 横断する敬語がさらに左右一名づつ必要でした。
 振袖販売と何の関係があるのか疑問が沸騰していました。
 しかし、当日は予想に反して問題なく終えることができま
 したが、私の心労は計り知れません。◆◆

◆◆ お店がオープンする頃から体調の異常を感じ始めました。
 まっすぐ歩けない歩行困難やくらみ、顔の半分が痺れて
 いました。原因はわかりません。
 一番は精神的に追い込まれていた事かも知れません。◆◆

◆◆ 直属の上司には相談していましたが、日和見な性格で
 親身になってはくれません。
 「あっ、そうなのお大事にね。」てな具合です。
 もうこれ以上続けてれば必ず死ぬと思いました。
 死んでやる!!◆◆

 

◆◆ そんな訳には、いかない!
 鞄に荷物を詰めて病院へ行こうと一代決心をしました。
 市内の比較的大きな病院なら入院できるだろうと勝手に
 思い込んでいました。◆◆

◆◆ 翌日、鞄を持って病院に受診しに行きました。
 たまたまみてくれた〇〇先生は、「入院の荷物を用意して
 診察に来る人は初めてだ」と笑っていましたが、後々に
 良い先生に遭遇した事を感謝しました。
 診察後だいぶ待たされましたが、無事に病棟に案内
 されました。◆◆

◆◆ 病室は6人部屋で右側の3つ並ぶベッドの真ん中でした。
 コンディションは最悪でしたが、そんな事は言ってられません。
 やっと現実から逃避できたのですから。◆◆ つづ