tankuro  健康に生きる為の案内図

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10 体験談 兄の死

10 体験談 兄の死

      

    tankuroです、こんにちは。

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 いかに保険が大切かを、私の体験談からお話しを

 させていただきます。転ばぬ先の杖、、。

 少し前になるのですが、2つ違いの兄の話を

 させていただきます。

 今考えると、姪の後見人になるように兄は

 計らってた気がします。

 いつものように、気楽にの覗いてってくさいね。

 

◆◆ 兄は64歳の若さでこの世を去りました。

 膵臓癌でした。あっという間の死でした。

 そんな兄が60歳を過ぎた頃、私に保険について相談が

 したいとのことで、電話連絡がありました。◆◆

 

◆◆ 私は自分の経験から入院した時に家族に迷惑をかけ

 ない為にも、癌診断があった時に纏まった一時金の降りる

 保険を探すように話しました。

 もちろん安価で。◆◆

 

◆◆ 兄は30歳を過ぎた未婚の娘と同居していましたが、娘は

 あまり生活力のある娘ではありませんでした。

 兄自体月の収入は介護のディケアセンターの補助で10数万円

 程度でした。

 父親から受け継いだ古い住宅に住んでいましたので、なんとか

 生活ができていました。◆◆

 

◆◆ そんなある日、何を思ったのか兄に呼び出しを受けて

 実家に向かいました。

 自分の入っている保険を一緒に見て欲しいと言うものでした。

 「ほけんの窓口」に自分で出向いて、相談の上で2件の保険を

 契約して、すでに2年ほど経過していると話します。◆◆

 

◆◆ 最近兄はお酒を飲むとすぐに酩酊して、記憶をなくす

 らしく娘にも嫌がられてると話します。

 私もみんなでキャンプに行った時に酩酊する姿を見たこと

 があります。

 全く歩けなくなる状態でした。◆◆

 

◆◆ 今思うと兄は終活していたのかもしれません。

 先日も司法書士に、自宅の登記が亡くなった父と祖母の名義に

 なっているのを娘の名義に直したばかりです。

 台所の椅子に座って、2件の証書を見せてもらいました。

 1件はがん保険で、入院給付金と癌診断で100万円をいただ

 けるものでした。

 もう1件はどんな病気でも入院給付金が出る保険でした。◆◆

 

◆◆ 安価な割にはなかなか手厚い保障でした。

 「いいね。万全だね」と私は感心しました。

 なぜ私に相談するのかその時にはわかりませんでしたが、

 頼りない娘を支援する後見人に選んだと今では思います。

 なかなか策士でしたね。◆◆

 

◆◆ そんな兄が64歳になる少し前に、体調の不調を訴えて

 きました。

 経緯を聞くと、お腹が時々痛み食欲もなく痩せてきている

 との事。

 病院は近所のクリニックに行ったと話していました。

 私は大きな病院の診察を勧めましたが、クリニックから中堅

 の病院を紹介されたので、そこに出向くとの事でした。◆◆

 

◆◆ それから仕事も休みがちで家で伏せる日が続いたそうです。

 もう少し親身になっていたら、、、。

 結果が少し変わったかもしれません。

 後悔するばかりです。◆◆

 

◆◆ その後の経過はこうです。

 私も同行しましたが、中堅の病院から大学附属病院を紹介

 されて診断を受け、さらにがんセンターを紹介されました。

 がんセンターに行って後日の診断通知の日に、再度同行を

 頼まれ同席しました。

 診断結果は膵臓癌のステージ4でした。

 末期癌で肝臓にも転移が始まっているそうです。◆◆

 

◆◆ そこからの兄は見るに耐えませんでした。

 抗がん剤理療をし入退院を繰り返し、げっそり痩せ、お腹に

 水が溜まってポッコリ盛り上がっていきました。

 担当医の話ではお腹の水を抜くと体のバランスを壊し、急変

 する可能性があるのでそのままにするとの結論でした。◆◆

 

◆◆ 兄は見る見る弱っていきました。

 私達には二人の妹がいます。

 誰もが親身なり看病して、後悔のないように努めました。

 もう歩くことのできなくなった兄に、もう一度愛犬に合わせて

 あげようと病院の許可を取って、玄関先に車椅子で移動
 した兄に、妹達は対面させてあげました。◆◆

 

◆◆ 私は姪の相談を受け、無言での依頼の後見人の大役を

 果たしました。

 まずは役所に相談に行くようにと姪に勧めました。

 国民健康保険の「限度額適応認定証」の発行で医療費の

 支払いを「自己負担限度額」(¥44400)にする手続きを

 するようにと。

 また、今後のことを考えると「介護認定」の取得も、、、。◆◆ 

 

◆◆ 私も貸すだけの預貯金はありません。

 病院の入院費の支払いに必要なお金を工面しなければ

 なりません。

 保険の事をこの日の為に兄から聞かされていましたので、姪に

 「ほけんの窓口」に証書を持って相談に行くように促しました

 一時金と入院給付金は比較的早くいただけました。

 でも、病院の支払いや生活費で、月を跨ぎながらの自転車操業

 でした。◆◆ 

 

◆◆ そんな中、奇跡も起こりました。

 いよいよと予感する頃です。

 兄が昔から大の親友と呼んでいた単身赴任で新潟に住む

 〇〇さんに、連絡を取りました。

 〇〇さんは事情を聞くと「すぐに行く!」と1時間後に病室を

 尋ねて来てくれました。

 なんと、新潟ではなく家族のいる地元にたまたま帰省して

 いたとの事でした。奇跡です。◆◆ 

 

◆◆ 意識の薄れる兄は、星空を眺めているように呆然として

 いました。

 〇〇さんが話しても、たまに頷くだけでした。

 理解してるのか測り知る事はできません。

 そんな中で兄は私を呼び、「〇〇に飲み物をあげてくれ!」

 と蚊の鳴くようなかすれた声で言いました。

 わかってるんじゃん、よかった!◆◆ 

 

◆◆ そんな兄もそれから5日ほど過ぎた頃、いよいよかもと

 看護師から聞かされました。

 姪が今日はここに泊まると言い張って、カミさんが付き合う

 ことになりました。

 私は別行動で一旦帰宅することにしました。◆◆ 

 

◆◆ 私は何故か早朝から落ち着かないので、見舞いに行く為に

 夜も開けきらいうちに家を出ました。

 乗り換えの駅のホームにパン屋さんあり、泊まった姪達に差し

 入れようとお店に入りました。

 その時、携帯が鳴りました。

 カミさんからでした。「今、息を引き取ったから早くきて!」

 、、、。◆◆ 

 

◆◆ 長くなりまして、すみません。

 兄が亡くなった経緯はこの様な事でした。

 貧しい私達でも、残される人の事を考えると保険はとても

 大切です。

 ぜひ、たくさんとは言いませんが、困らない様に保険は備え

 ておきましょうね。お願いします。◆◆ おしまい。

 

 あっ、霊感の強いカミさんが言っていましたが、兄を迎えに

 亡くなった元奥さんと他2名がお迎えに来て来れていた

 との事です。私は信じます、、、。

 

コロナに負けるな!

  スタミナつけてね!