初めての大病になるまで 4
初めての大病になるまで 4
こんにちは、tankuroです。
前立腺癌の摘出手術受けた後しばらく
ICUに入ってました。
そこからの続きです。
◆◆ 私はICUの個室でただただ天井を見つめていました。
時々交代で家族が見舞ってくれました。
主治医の顔も頻繁に現れました。
お腹にはドレーンと呼ばれる管が何本も繋がれていました。
左右の腕には薬剤が点滴で流れていました。
発熱で意識も朦朧としていました。
何が我慢できないかと言うと、飛んでる意識の中で尻っ
ぺたが焼けるように痛い事でした。
痛い!お尻をつけてられない!浮せても痛い! ◆◆
◆◆ 水も飲めず、痛みも取れず、昼夜の感覚もなく、時間が
遅く遅く流れていました。
助けて、お尻の痛みを何とかして!と叫びたくなりました。
主治医はかなり頻繁にやってきては、移動式レントゲンで
撮影をしていました。
説明もなく、無言で、、、。◆◆
◆◆ 3日目には、やっと痛みも大分減って背中もお尻も
ベットにつける事が出来るようになりました。
お腹のドレーンの数も少しずつ減っていき、水も少量なら
飲ませてもらえました。
4日目には一般病棟の集中看護室に移動になり、記憶も
整理出来るようになりました。◆◆
◆◆ その頃に主治医から説明を受けました。
「前立腺癌は全て摘出できました。問題はありません。
ただ、出血が多かったので自己血液800ccは使い切り、
あと800ccを輸血しました。
それが心臓に負担となり少し肥大しましたが、現在は
レントゲンで見る限り正常に戻っています」成功しました
の一言は聞けません。◆◆
◆◆ あの主治医のお詫びはなんだったのでしょう?
ドクターに問いただす事は出来ませんでした。
糖尿病が根幹にある為、血糖値をコントロールする為に
通常より2週間も早めに入院して体調を整えました。
そんな事も影響していたのでしょう。きっと。◆◆
◆◆ 2週間後に主治医がレントゲンを見ながら、切断した
尿管が接続できているのを確認して、息子のあれを抜いて
くれました。
その後は順調に回復し、3週間後に無事に退院しました。
退院保険会社2社から入院保証の一時金を400万円頂いた
事は内緒です。
しかし、それと交換に括約筋を無くした私は、水道を
ジョロジョロと流すような尿のダダ漏れと戦う生活が
待っていました。◆◆
◆◆ 退院後2週間は自宅で療養をしました。
ダダ漏れと日常生活を回復するためのウォーキングに
明け暮れました。
厚いトレーニングパンツの下に350ccの尿パットを装着して
生活しました。
尿パットは1時間しか持たないところからのスタートでした。◆◆
◆◆ 生活のため出社を再開しました。
事務職のため2時間に1回のペースで誰にも言えずにトイレで
静かにそれを交換しました。
時にトレイニングパンツをきつめに履いているせいか、股擦れ
にも悩まされました。◆◆
◆◆ 現在でも尿パットは、ちょい漏れの為コットンのボクサー
タイプのパンツに装着しています。
長くなってしまって申し訳ないのですが、自覚症状のない
前立腺癌の早期発見にご助力していただきましたドクター
各位には心より厚く感謝いたします。
「ありがとうございました」◆◆
つづく
長くてすみません、現在は5年以上経過してPSAは0.006です。
3ヶ月に一度通院して、ホルモン治療を受けています。
1回の診療費は18000円(ホルモン注射1本含む)に投薬代が
ジェラミックで8000円かかります。
命には変えられませんよね。
詳しくはまた今度です。