15 もう帰ろ?!
15 もう帰ろ?!
tankuroです、こんにちは。
思い出話です。お気楽にどうぞ。
◆◆ 昭和の懐かしい話をします。中学3年生の頃の話です。
京浜急行に弘明寺という各駅停車しか留まらない駅が
あります。
その駅のすぐ近くあった◯中学校に通っていました。◆◆
◆◆ 担任は、よしこちゃんと愛称の定年前の小柄なご婦人でした。
冬のある日、学校で事業を受けていると朝は何ともなかったのに、
突然息ができない状態に陥り、よしこちゃんが帰って医者に
行くようにと母親を呼んでくれました。
私はそれに促され、母親と一緒に帰宅しました。◆◆
◆◆ 医者に行くと、病名は急性の気管支炎でした。
投薬で自宅療養しましたが、息が出ないのがこんなに苦しいのかと
実感しました。
5日ほどで熱も下がり回復したので、学校に登校しました。
その日、下校前によしこちゃんに職員室に寄るように促された
ので、出向きました。◆◆
◆◆ そこでよしこちゃんから思わぬ物を手渡されました。
それはなんと5日前に食べる事が出来なかった、机の引き出し口に
忘れた弁当箱でした。
それも目が痛くなるほど臭く匂う手付かずのそれでした。◆◆
◆◆ 唖然でした。
何故?なぜ?中身を捨ててくれなかったのだろう?と。
そんなよしこちゃんはお茶目な担任でした。◆◆
◆◆ 話は変わり、私の受験の話です。よしこちゃんが首を傾げな
がらも、押し通した〇〇大学附属高校に、私は見事落ちました。
学校もよしこちゃんも私以上に困ったと思います。
運動神経は抜群に良かったのですが、成績はおちょこちょいで
中盤よりちょっと下でした。
次の学校の当てなど全くありません。◆◆
◆◆ そんなある日よしこちゃんから提案がありました。
都内だけど体育に特化した〇〇体育大学の系列の高校があるので
2次募集に受験しないか?とのお誘いでした。
私は体育が得意なので、断る理由がありません。
一つ返事で承諾しました。◆◆
◆◆ 自宅から高校までは1時間半の道のりでした。
国鉄の保土ヶ谷駅までバスで下り、横須賀線に乗車し川崎で
京浜東北線に乗り換え蒲田で再び目蒲線に。
一駅乗車して矢口渡駅まで行く工程でした。長っ、、、。◆◆
◆◆ そう、その学校は男子校でした。
当日は2次試験という事もあり40名ほどが一つの教室で4科目の
試験を受けました。
合否は学校に連絡が入るそうで、その日はそのまま帰宅しました。
母親からはどうだったかと聞かれましたが、男子校の独特な雰囲気
だけを伝え「大丈夫じゃない?」とだけ答えました。◆◆
◆◆ 後日、よしちゃんから「合格したよ」とお知らせを頂きました。
そして、無事に中学校を卒業しました。
よしこちゃん、本当にお世話になりました。
ありがとうございましたと感謝の念で一杯でした、◆◆
◆◆ そして、ついに高校の入学式当日を迎えました。
その日は母親が同行してくれました。
長い道のりに礼服姿の母親がうんざりしているのを感じながら、
矢口渡駅に到着しました。◆◆
◆◆ 駅から商店街を8分ほど歩いた所に学校はあります。
開式の時間が迫ったせいかその商店街の道は、学校に向かう生徒と
父兄でごった返ししていました。
私もその時の異様さに気が付いたのですが、丈の長い学ランに
幅の広いボンタン(スボン)、前が長いリーゼントの学生があちら
こちらに風を切って歩いていました。
それもそれも連なる様にです。◆◆
◆◆ 私もドキドキしていましたが、母親の挙動が異様でした。
その長い道のりを終え、肛門が目前にせまって母親が言いました。
「なぁ、帰ろう?来年他を受験すれば、、、。なぁ、もう帰ろうな?!」
「ええわ、決めたんやさかい」と私は反論しました。
そして、高校生活が始まりました。
家族との会話は関西弁になります。◆◆
長いお付き合いありがとうございました。
あっ、そうそう。今は悔しい事に共学です。
コロナに負けるな!
スタミナつけてね!